チャート方式・『四次元時空の哲学』入門 (3)
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階層的な自然界の世界モデルについて
それで、私は、「(少なくとも)私が存在している世界、経験する物事」を科学が提供し蓄積してきた世界像である「自然界の世界モデル」を根拠に解釈する、という立場を採用するわけなのですが、その際、この世界モデルの階層的な構造に留意します。
この「階層的な構造というのは、例えば基底層に物理的な世界が、その上に化学的、地学・生物学的、社会的、心理的(心理的、社会的)。。。。といった階層が連なっていく構造です。より下位(基底)の階層は、より上位の階層のあるべき基本前提、限界条件等を規定します。例えば、物体の運動法則は、原始の構造や、性質を規定し、それは分子の、分子の性質は、生命現象のあり方を規定します。下位層で一般法則として確立したものが、より上位になると成立しなくなるということはありません。例えば、重力についての法則は、生物の体にも、人間の社会生活にも、何がしかの形で規定的に成立しているわけで、人間の社会生活レベルにいたれば、重力の法則が消えてなくなり、自由に飛びまわれるようになるということはありえません。この自然の階層構造が、われわれが自然を把握する上で、演繹的推論形式が適用可能になるベースを担っていると私は考えます。そして、数々の帰納的推論は、この体系の中に組織されていくことで、その蓋然性(確からしさ)を高めています。私は、形而上学的な「究極の論理形式」なるものがどこか基礎にあって科学を形成しているのだというような考え方はとりません。自然界のモデルを徐々により広く深いものへと磨き上げていった長い人間の認識過程を通して、「論理形式」は、そのモデルの内部に定着していったものだと考えます。
このモデルにおいては、下位層は上位層のありかたの限界条件を規定します。上位層は下位層の一般法則の具体的発現形態を規定します。規定・被規定の関係は、それぞれの現象の具体的なありように基づいて慎重に考えていく必要があります。ある現象が、どの階層に位置づけられるべきかは、必ずしも単純ではありません。石灰岩の地層構造は、生命現象が前提になります。多くの高分子化合物は、生命系の産物ですし、遺伝子組み換えの生物や、ここ最近の地球温暖化現象は、人間社会系の層の作用が基底部分と思われる世界に浸潤して成立しています。そして、基底層の一般法則は発現形態を変えて作用し、上位層にフィードバックするといった関係を築いたりもします。もし、上位層のありようにおいて、下位層の一般法則が成立しないようであれば、一般法則は本当にこの形でいいのかと考え直すことも必要になります。
この自然の階層モデルを注意深く活用することの意義として、大きく次の二つが考えられるでしょう。
一つは、不合理な推論に陥るのを未然に防ぐということ。下位の規定性が破られることはよっぽどのことなのだから、そのような推論に至った場合は、懐疑的になることで、安易に誤謬推理に陥らないですみます。
もう一つは、安直な還元主義に陥ることを未然に防ぐということ。それぞれの階層には、それぞれの独自の構造に基づく法則性がたち現れてくるわけで、しかるべき媒概念を駆使して推論をしていかなくては、粗雑で無意味な思想しかもたらしません。「生命現象は全て化学反応である」と言い切るのは、ある意味で間違いのない必要条件を述べているのだとしても、それだけではほとんど生命現象の何かについて語っていません。「人間は原子で構成されている」もそうです。こういうのは、『悪しき還元主義』だと言うべきでしょう。ただ、「人間は原子で構成されている」という命題が重要な意味をもつ文脈もありえます。そういった具体的状況判断こそが重要なのです。
拙著『四次元時空の哲学』は、物理学、それも時間・空間という最も抽象性の高い基底層を考察の出発点にすえて展開されます。そこから、世界観の構築、われわれの生き方や自由の問題にいたるまで、言及してしまおうという、学問的誠実さを備えた人たちからすれば、一笑に付すべきとも言えそうな、無謀な試みをしているわけなのですが、しかし、本書は哲学の提起であり、「(少なくとも)私が存在している世界、経験する物事」をどう解釈するかについての、全体的なアウトラインを提示してみたいという意図で書かれたもので、こうならざるをえなかったのです。ただ、こういう展開を試みる場合、ややもすれば、先に述べたような『悪しき還元主義』に陥る危険性は高くなると考えた方がいいでしょう。だからこそ、私は「自然の階層モデル」への慎重な留意を強調したかったわけです。
拙著の方では、この関連の哲学的議論は、主として第3章に置き、第1章は、相対性理論の考察に焦点を当てています。その結果、哲学書ではなく、物理学の解説書のような印象を、読み始めた読者に与えることになったのではと反省しております。それで、このような前置きをここで展開させていただきました。相対性理論の解説書としては、拙著はあまりにも初歩的な部分に限定されすぎています。しかし、哲学書としては、書きすぎではないかとの指摘も受けそうです。ただ、ここは、本書全体の中で、大変重要な論拠を担っていて、読者に、頭ごなしの知識の押し付け形式で、訴えたくはなかったという気持ちがあるので、必要最小限のことを展開しました。それに、相対性理論の基礎部分をどう叙述して展開していくかということそのものが、どういう「相対性理論」観を抱いているかの表現にもなっていると思っています。物理の数理的理論としての「相対性理論」はともかく、その意味解釈をめぐる「相対性理論」観は、今日でも、必ずしも一枚岩に定着しきれてはいないということであれば、なおさら重要なのです。
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