(2015/11:発行(12月)) 「季報 唯物論研究」第133号 にて掲載 (特集 「私の発言:敗戦・戦後70年を機に」)

「戦後七十年と地球人」

(70 years after the war ends, and earthlings)

          村山 章 (Murayama, Akira)       2015年9月 執筆

 戦後七十年。その間、桜は七十回咲いて、散った。その前年も、桜になぞらえて自爆死をさせられた多くの青年たちとは何の関係もなく、運よく空襲を免れた桜たちは、例年通りに、咲いて散った。人間たちの騒々しい歴史的営みの背景には、無数の坦々とした自然の営みの繰り返しがある。時に台風、地震、津波、火山などの険しく痛ましい事象も起きるが、長いスパンの中では、それらとて、坦々とした繰り返しのひとこまに過ぎない。
 十の倍数の年を「節目」と捉えて過去を振り返り、その期間をあれこれ評定する人間的慣習があって、第二次大戦終結を起点として、七回目の節目を迎えたわけである。この長さはおよそ人間の平均的な一世代分くらいに相当する。その間にも世界各地で数々の戦争・紛争があって、今でも続いているわけだけれども、全世界規模で戦争状態になることはなんとか防げているので、この節目のカウントが続行できている。間違っても、また戦後十年から数えなおすなんてことにはならないでいて欲しいものだ。
 この七十年という時間、もし約四十五億年の地球の年齢を一年にたとえれば、0・5秒くらい相当で一瞬ですらない。そんな短い間に何が起きたか。人類は大気圏外に出て活動するようになった。月にも行った。自分たちの感覚器官の延長の活動範囲を太陽系サイズに広げた。こんなことは、長い地球生命史上なかったことで、魚が初めて陸に上がった時以上の大事件である。また、何十億年にもわたって、複雑な情報システムの担い手は蛋白質─核酸系のみだったのが、半導体を基礎にした新たな情報処理系が地球に誕生したのも、この瞬間だ。これは、カンブリア紀の生命爆発に匹敵するくらいの地球史的な重大事件ではなかろうか。そしてこの瞬間に二酸化炭素化してしまった化石資源の量、この瞬間に絶滅ないし絶滅危機に追いやられた生物種の数、この瞬間に貯め込まれてしまった核弾頭、核燃料、核廃棄物の量。原子核エネルギーを直接利用しようとする生物が現れたのも地球史的大事件だ。原子力、コンピュータ、ロケット、これらの技術は大戦中の軍事目的を契機に開花し、この七十年で急速に進展した。さらにDNAを発見し、解読し、それを意識的に制御しだす生物が現れたのも戦後のこと。これだって、地球生命史的大事件だろう。
 何が坦々とした繰り返しだ。地球生命史的には、とんでもない事態が爆発的に進行している。なんて特別な瞬間に自分は生まれてしまったのだろうと思ったりもする。もっとも、それはさらなる爆発的、指数関数的進行のほんの入り口にすぎないのだとすれば、特別な瞬間という表現も的を得ていないのだろう。こんなとてつもないうねりを前にすれば、天皇制の変遷だの、社会主義の興亡だの、実にささやかなさざ波のようにも思えてしまう。
 とは言っても、七十年の歳月は一個体の人間にとっては、色々な想い出が積み重なるずっしりとした時間サイズだ。私はと言えば、そのうちの半世紀分くらいを生きている。戦争を知らない子供たちの第一世代で、親や親戚、教師などから、直接戦争体験を語られて育った世代だ。もの心ついた頃は、高度経済成長まっただ中で、次々と出る新製品にわくわくさせられて育った。小学生の時、父が買ってくれた電気鉛筆削りに胸躍らせて、自分が大人になる頃にはきっと原子力で鉛筆を削っているに違いないと思った。原子力は何だか分からないけれど未来のすごい夢のエネルギーというイメージを鉄腕アトムなどのアニメから受け、でも放射能はとても恐ろしいものでもあるという感覚をゴジラから受けた。
 そう、私たちはアニメと怪獣に育てられた第一世代でもある。ウルトラマンやウルトラセブンが毎週の楽しみでウルトラホークやアンヌ隊員に憧れた。そして毎週それらの番組を通して自分たちは何よりもまず地球人なのだという自覚を深めたのだった。戦前は恐らく「地球人」などという言葉は滅多に使われることはなかったのではないかと思う。もっとも、これも宇宙からの外敵の存在があって初めて促された自覚であって、なんともそこに地球人的限界性を感じてしまうわけではあるのだが。
 その後もあれこれのヒーロー・ヒロインたちがテレビで活躍するが、ガンダムの流行った頃は、私は哲学と相対性理論に嵌っていたのでよく知らない。大学を卒業してコンピュータのソフトウェア開発の仕事に携わるようになる。ハードもソフトも年々めまぐるしく進化していって、それに遅れを取るまいと必死になっていた。ウィンドウズが出たころは、不安定なパソコンを何度も再起動していて、そのたびにディスプレイの青空を眺めていた。本物の青空を見る時間よりも絶対この青空を見ている時間の方が長いよな、なんて思いながら。無論、地球史における情報テクノロジーの意味など微塵も思い及ぶはずもなく、ただ、目前の課題をこなすことしか考えていなかった。
 私らの職業にいる人は、往々にして、主力だったPCやOSで時代を区分する。MSDOSの時代とかウィンドウズ2000の時代とか。あるいは「○○プロジェクトにいた時代」なんて自分の人生の時代区分をしたりもする。職業を離れたところでは、流行のもしくは個人的に影響を受けた音楽や映画、小説、ドラマ、マンガ、アニメ、ファッションなどで時代を区分したり、その時々の政治や経済の様相で時代を特徴づけてみたりする。あるいはその頃、どんな人と付き合っていたか、なんていうのも個人史にとっては重要な要素であろう。そしてそれらが幾重にも重なって、「あの頃」の想い出として脳に、あるいは諸々のメディアに記憶されていく。
 私たちは、この「今」を生きているわけであるが、それは、幾重にも意味付け可能な、宇宙サイズから秒刻みまで様々なスパンをもつ多様性に溢れた「今」であり、特定の長さ、特定の意味づけに規定された今を生きているわけではない。
 同様のことは時間のみならず空間についても言える。私は、銀河系、太陽系の住人であり、地球人であり、日本人であり、愛知県人であり、○○町××ブロックの住人でもある。脊椎動物であり、ヒトであり、オスである。IT業界にいて、所属する会社があって、あるプロジェクトのメンバーであり、かつ、とある飲み屋の常連だったり、季報唯物論研究編集委員の一人だったりもする。もちろん、日本国民でもあって、税金も払っている。とにかく 種々様々な集合の幾重もの重なりの中に「私」という存在は帰属している。
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 で、例えば私は愛知県人であるわけなのだが、愛知県の西には三重県が隣接している。愛知県と三重県の県境の中州にナガシマスパーランドという人気スポットがあって、三重県に所属しているのだが、三重県人はここを愛知県が略奪してしまわないかと危機感を抱いている。なにしろ愛知県は世界に誇る自動車産業と大規模な養鶏業を備え、おまけにイチジクの生産高が日本一という強大な県だ。そこに石油化学コンビナートと牛肉と真珠の三重県が単独で立ち向かうには心もとない。そこで三重県は集団的に自衛するため、岐阜県に、愛知県は木曽三川公園の略奪をも狙っているともちかけ、軍事同盟を結んだ。愛知県としては、対抗上早速、静岡県や長野県と相互不可侵条約を結んだ上で、滋賀県に大量のクラウンと手羽先を供与し、三重県を北からけん制するように要請した。かくして東海地方には一触即発の軍事的緊張が高まったのであった。
 ・・・・なんてことは絶対にありえないと誰もが思う。国と県では違うでしょうと言われるだろうが、しかしほんの四~五百年前はこのくらいの規模の地域間で、血で血を洗うような戦闘や凄惨な殺戮が繰り返されていたのだ。地球史一年の尺度では3~4秒くらい前のことである。(ちなみに今年は大坂夏の陣四百周年だ。)ではなぜ今はこんなことありえないのか。無論、上位に国家権力があって勝手に戦争などできないわけだが、それで仕方なくしぶしぶ戦争をしないのだろうか。県同士での戦争などまったくナンセンスである根本的要因は、人々の交流の規模である。互いに双方に親戚や友人がいる。毎朝、県境を越えて通勤しているサラリーマンが大量にいる。県境で戦争などされて電車が止まったりしたら迷惑だ。伊賀出身のあいつは三重県のスパイじゃないかなんて嫌疑をかけていたら進む会議も進まない。県レベルで軍事的対立などされたら、経済活動が、生活が成り立たない。
 国家間もこれと同じではないか、と言うつもりはない。それは違うでしょう。経済活動の基本的統括単位は国家であり国民経済であるわけだし、各国がそれぞれ武装して外部や内部の敵から防衛している状況は続いている。ただ、この七十年という歳月を通してわずかずつでも変質してきていることに鈍感であるべきではない。国と国との結びつきは国家権力の代表者たちにのみ委ねられているわけではない。グローバルに活動を展開する大小の企業群、国際的に大量に流れる人と物と金と情報、国際結婚の増加、文化的交流を通じて共有される多様な価値観の広がり、数々の局面で重要な役割を発揮し続けるNGO。世界の安全を支え、支え続けられる本当のパワーは、戦争などになったら真剣に困ってしまう具体的な生活者たちの縦横無尽の繋がりの中にこそあるのであって、国家ないし国家ブロックの保有する軍事的抑止力ではない。これは際限のない軍備拡張競争を余儀なくさせられ、緊張と危険を増加させるだけだ。よしんば不測の事態でのとある防衛に成功する成果があったとしても、人を殺せばその怨恨は何十年と続くのだ。仮想敵を設定したら、自分たちも仮想敵になる。そして何より厄介なのは、仮想敵であり続けないとそれを前提に活動し権益や利潤を得ている人たちの面子が保てなくなってしまう状況に人々が翻弄されることだ。それこそが「深い反省」の最大の対象にされるべき過去の過ちではなかったのか。面子にこだわって「言い訳」を繰り返す者が信頼を得ることなど永久にありえない。
 テロとかミサイルとかの脅威を叫ぶなら、軍事力を強化して遠方に自衛隊を派遣することよりも、原発に頼らなくても済む電力供給の体制を整備することの方がよほど急務ではないだろうか?ここが、最大のウィークポイントなのだから。それともいつでも核兵器が持てるように原発は手放せないということなのか。
 少年時代を振り返って、本当にゆっくりだけれど、この数十年で少しはよくなったかなぁと思うことは、人が人を差別することが公認はされなくなってきたということである。私が中学の時、かなり地位の高い英語の教師がひどい悪意に満ちた黒人差別発言を授業時に滔々と得意げに話して聞かせていた。周りの生徒もそれを可笑しげに聞いていて、孤立するのが怖くて、これまずいんじゃないのと言えない情けない自分がそこにいた。でもさすがに今こんなことがあったら大問題になるか本人が大恥を掻くかするだろう。人権を尊重する思想は、振り返ればやはり確実に進んでいると私は信じたい。そしてこれこそが平和維持の基礎だと思う。
 昨今、TPPなどに見られるように、製品規格のみならず、労働やサービス、取引制度なども国際標準化が進み、世界中の労働者が国際的な労働力市場で競争をさせられていく環境作りが進行している。そういう競争に苛まれていく中で自分たちのアイデンティティを保持する意味も込めて様々なナショナリズムや宗教至上主義が湧き立つことも増えるかもしれない。だが、こんな時だからこそ、地球人は、地球人として繋がりを深めていくことを模索していくべきなのだ。地球人が抱える地球的難題は山積している。いつまでも「戦争ボケ」している余裕はないはずだ。様々な国や地域の人たちは、それぞれ異なった経緯ではあるが、グローバルに連携していく単一の商品経済社会で生活し出している。そして抱える環境問題、格差社会問題等を、体制や宗教などの違いを越えて膝をつきあわせて、さてこれからどうしようと考えあうことのできる時代が到来してきているのだ。消耗するだけのレッテル貼りや偏見はもういらない。この本音で語れる状態をキープし発展させていくことこそ、戦争や権力の横暴の犠牲となった無数の人たちへの報いになると思う。
 今、安保法制をめぐって、賛成派、反対派の激論が日夜、マスコミやネットを賑わせている。互いに、「おまえらバカじゃないの?」の応酬だ。私なんか、どちらの陣営からも馬鹿にされてしまいそうだ。かくなる上は、戦後日本のサブカルチャー史に燦然と輝くこの名セリフに頼るしかあるまい。「平和憲法、これでいいのだ!」(ちなみに今年は赤塚不二夫生誕八十周年である。)


   2015年9月


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