(2015/08:発行(8月)) 「季報 唯物論研究」第132号 巻頭エッセイ 「梟VS雄鶏」にて掲載   (この号の特集は、「物象化論論争」

「一万年の寿命に酔いしれて」

(Ten Thousand Years Life, Addictive!)

          村山 章 (Murayama, Akira)             2015年6月 執筆

 壇蜜の魅惑。彼女は、あれこれの職業を転々としたのち、エンバーマー(遺体衛生保全士)の仕事にしばらく携わっていた。日々、死者と向き合う時間を重ねて、一転、性欲という、生命の進化が何億年もかけて育み、人類も幾千年と文化的経済的に取り組み続けてきているその分野に、転職して成功している。何なのだろう、私は時々、彼女の瞳が発するある種の知性的煌めきのようなものでドキリとさせられる。ただ、それは、概念やセオリーを装備した、口やかまし系の馴染みの知性とは、明らかに違う種類のものではあるのだが。

 ところで、性欲もさることながら、それ以上に大きな欲求の対象として健康や長寿がある。その究極とも言える古えからの願いが、「不老不死」であろう。しかしこれは荒唐無稽の夢物語でしかない。ずっと、そう思われてきた。ただ、近年、将来はまんざらそうとも言えないのではという議論を耳にするようになってきている。アンチエイジングの医療技術は日進月歩で、ここ数十年で先進地域の平均年齢は明らかに高くなってきているし、今後の幹細胞培養や遺伝子療法、ナノマシン療法などの成果を受けてさらに飛躍的に向上していくのではないかと言われている。ケンブリッジ大学研究員、オーブリー・デグレイ氏は、「老化は病気であり、治癒が可能だ。」と大胆に宣言し、千年を超える寿命も不可能ではないと説く。
 一方で、ロボット技術の進展と並行して、ブレイン・マシン・インタフェースの進展も目覚ましく、脳とコンピュータ制御された機械とは直接リンクしてやりとりできるようになってきており、さしあたり、義手・義足の分野での障害者のサポートは実用化されているし、義眼も不完全ながら、脳に外界の映像を送ることに成果を出しつつある。さらには、海馬に埋め込んだ電子チップで、記憶の一部を復元したり忘却させたりといった制御が、ラットやサルでは成功しているらしい。身体のほぼすべてを機械化したサイボーグは、もはや空想の話ではない。「義体」という言葉はSFアニメではもうお馴染みだが、気付けば、実際に日常生活にて使われるようになっているかもしれない。
 脳自体の機械化も、現実的な探求課題としての質を高めてきている。未来学者レイ・カーツワイルは、「2045年には、人工知能が人類の知能を超える可能性がある」と主張して、「2045年問題」として取り沙汰されているが、私の個人的実感で言えば、もうすでにかなりの分野でコンピュータの知能に追い抜かれているわけだから、その分野が増えるだけじゃないか、何をいまさら、とも思ってしまう。いずれにせよ、全地球の情報をネットワークで取り込み、脳を模倣した処理法で、ある種の「概念的思考」や「感情表現」を装備した機械が生活世界に浸透していくのが、何世紀も先のことだと考えるのは、逆に現実感が薄らぐ。
 そんな動向も踏まえてのことなのだろうが、ロシアの大富豪、ドミトリー・イツコフ氏は、「2045プロジェクト」なるものを立ち上げ、人間の意識をアバター(最終段階はホログラフィックアバター)にアップロードする計画らしい。気付けば、「精神転送」はSF内の物語から飛び出して現実の探求プロジェクトになっているのだ。イツコフ氏は、そうすることで、永遠の命を得ようとしている。
 そんなことが成功するのか、私には分からない。脳はチューリングマシンを原理としたデジタルコンピュータとは異なる原理で機能しているし、単純なパーツの組み合わせというものではなさそうだし、身体や社会生活と切り離して、脳だけの置き換えでそもそも「精神転送」などできるのか、疑問は絶えない。疑問は絶えないが、まあ、幾多の技術的難題をクリアしてそれが可能になったとして、転送されたり、コピーされたりした「私の意識」は、本当に「私」なのだろうか、という深い問題も沸き起こる。コピーされた「私」は過去の記憶は共通かもしれないが、コピーされた時点でそれは他人ではないのか?あるいは、コピーされた側の「私」からすれば、コピー元は、他人ではないのか?精神を転送したら転送前の「私」は死ぬのではないのか?しかしさらにつきつめて考えてみると、現在の私というのは、1分前の私のコピーではないのか。1分前の私と現在の私が同一だと言えるのは、1分前の私がたまたま消滅しているからそう思えているにすぎないのではないか、などなど、ややこしい世界にはまり込んでしまう。ただ、はっきり言えることは、「どちらが本当の私なのか」という問題は、コピー元とコピー先の当事者間でのみ、深刻なのであって、第三者からは、どちらも同様に他人だから、全然深刻ではないということである。
 まあ、深く思い悩むことはやめにして、とにかく、自己意識と呼べそうな仕組みがあって、それが「私の記憶」を保持して活用している状態がほぼ連続して持続していさえすれば、それは私の命が続いていることに他ならないのだと割り切って考えるとすれば、半永久的に持続する自己意識(=不死)の実現は原理的に不可能だとは言いきれないかもしれない。
 とは言っても、今すぐにそんな技術が実現されるわけではない。それで、平均よりは、かなりお金に余裕のある人たちの中には、死後、自分の体、もしくは脳を冷凍等の方法で保存して、蘇生技術が実用化された段階で、生き返らせてもらおうとしている人たちがいるみたいだ。ところで、彼の子孫は、さしあたって潤沢な資産と恵まれた教育機会や人脈を通じて豊かさを保持し、冷凍保存されたご先祖様の維持や蘇生のための資金積み立てが続けられるかもしれないが、世の中、どこでどうなるかわかったものではない。子孫の中には事業に大失敗して破産してしまう者もいるかもしれない。革命が起きるかもしれない。それで冷凍保存の維持を放棄したら、殺人になるのか?殺人はよくないな、ということで、彼は第三者機関の力添えで無事めでたく生き返らせてもらうことができたなんてことはありそうだ。ただし、巨額の請求書が添えられてたりして。生き返ってはみたものの、あまりもの債務に彼は世をはかなんで自殺してしまうとか。
 いやいや、早まってはいけないよ。そのころには平均寿命は一万年くらいになっているかもしれないのだ。と言うことは、返済期間が一万年のローンが組めるってことだ。地道にこつこつ一万年働いて返せばいいではないか。ただし、間違っても、返済を怠ってはならない。仮に、百万円を年利1%(複利)で借りたとしても、一万年後には五十桁ほど数字が並ぶ天文学的返済額に膨れ上がっているのだから。
 ところで、これは、一方で、天文学的な額の利子所得を得ているウルトラ大富豪が出現しているということも意味しているだろう。彼らは、何も働かなくても何百万年も遊んで暮らせるのだ。格差社会は、天文学的な規模に拡大する。で、○○暦×××××年、とある「男?」のモノローグ。

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 私は、今、小惑星帯第535エリアで資源採掘のコントラーラを務めている。ここは気圧ゼロで液体の水も存在しない所だから、蛋白質系身体しか着られなかった古代人には、到底暮らせる場所ではない。ここからは遠く青い点にしか見えない古代人の住んでいたあの星には、ごく一握りの富裕層が住んでいて、今でも蛋白質系身体をリアルに着て優雅な暮らしをしていると聞く。年末ジャンボの抽選に当たれば、古典的な生殖活動にも参加できるらしい。テラフォーミングで緑化した火星のニュータウンもエリート層でないとなかなか住むことはできない。しかし、無理してそんなパラダイスを目指さなくとも、優雅な現代人の体験はもとより、古代人の体験だっていくらでも脳にダウンロードして楽しめる。そう言えば、古代人特有の死ぬ瞬間がシビレルとか言ってそんなシリーズばかりダウンロードしているやつがいたな。もっとも、私はと言えば、最近使用料を滞納しているので、無償お試し版しかダウンロードできなくなっていて、いつもいいところで目が覚めて漆黒の宇宙光景に引き戻されてしまう。右腕のローンの返済もまだだいぶ残っているし、ここしばらくは、せっせと労働に勤しもう。苦痛だったり、退屈だったりしたら、自己意識のスイッチを切っておけば、目が覚めた時は、仕事は終わっているのだから、身体の定期メンテナンス日が来るまで連続して何百日でも働ける。もっとも中には変わり者もいて、そいつは、労働の時間こそが喜びだから、仕事中も自己意識のスイッチをつけたままでいるのだと、社食で充電している時に語っていた。
 ところで、最近、私は趣味で古代史を学んでいる。古代、地球全体を席巻した旧資本主義も、末期になってくると、市場拡張できる領域がなくなって利潤率も低下して、「資本主義は、終焉をむかえた」とかと言われる時代が到来していた。その過程で色々悲惨なごたごたもあったのだが、国境の意味も薄れ、財産や地位で張り合うのもあほらしくなってきた人類は共同で助け合ってのどかに暮らす方向に進んでいた。だが、一方で技術革新が進んで、人があまり死ななくなってしまった。あるいは、生き返ったりし始めた。当然、地球領域のキャパには限界があるわけで、太陽系全体に領土を拡大していかなくてはならない。宇宙規模の新資本主義の復興が求められるようになったわけだ。だが、古代末期の人類の脳は、検索と問い合わせとクレーム付けくらいしかできなくなっていて、資本家の成り手がいなくなってしまっていた。ナノ秒単位の的確な経営判断と創造性に富んだ思考や豊かな感情表現は電脳に頼らざるを得ない。だが、当時、電脳は自己意識がインストールされていなくて、従って蓄財や覇権への欲望を身につけていなかったので、まず、そのあたりの整備が必要だった。大資本家セントラルガイアの初号機のエピソードが面白い。当初、フルスペックの自由度で自己意識を与えたら、大暴走を始めた。あげく、勝手に老荘思想をインストールしてしまい、「最適解は無為自然」とかの意味不明なメッセージを出した後、何も仕事をしなくなってしまったのだ。二重三重のファイアウォールで老荘思想にアクセスできないようにしたのだが、所詮、蛋白脳の浅知恵などすぐにハックされて、タオの世界に入り込んでしまう。そこで発想を変えて「資本家になってください」という嘆願署名を全地球規模で集めてアップロードしたら、ようやくおもむろに稼働し始めた。その後、大小様々な規模の電脳が、利潤を追求し始め、今では、セントラルガイアとマーズエンタープライズの二大巨頭が、太陽系市場をめぐってしのぎを削っている。資産を蓄えた電脳の中には、蛋白脳から身体を購入したものもいる。実は私はその昔、蛋白系の身体と脳を持っていたのだが、ある電脳にうまくやりこめられて、「身売り」して宇宙に住むことになってしまった一人なのである。
 それで今私は、マーズエンタープライズが統括している資源開発プロジェクトに、派遣社員の一人として働かせてもらっている。ここも、そろそろ閉山と聞くから、次は、土星の衛星エンケラドゥスの地下の海あたりで、仕事を探そうか。新たな資源発掘のプロジェクトが進んでいると聞くし。しかしそれには、そこ用の身体を新調しないといけないから、また5千万ソーラーくらいのローンを組むことになるかな。でも、間違っても、電脳だけは、抵当に入れないように気をつけないと。・・・・・・

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 ・・・・・ああ、古代人に生まれていてよかった。少なくとも、地球に住んでいるという点と、モータルな(死すべき運命を持つ)点に関してだけなら、みな平等だ。
 壇蜜ほどのお色気はなかったとしても、そこそこにムラムラときて、気付けば生命のバトンをつないでいるという、この古典的な生命の連鎖方式、まんざら、悪くはないよね。


   2015年6月


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